滑翔の灯



 滑空ファンの皆様、1945(昭和20)年以前の日本滑空黄金期の登場人
物のなんと少ないことかをご存知ですか。広く名の知れた方たちの活躍はたしか
に抜きん出たものが見えますし、その功績は多大な遺産として現在も輝いていま
す。また、滑空機自体も欧州のその機体を参考にしながら発展を遂げ、最終的に
は日本独自の機体に到達し、「真似するよりも真似されろ」を投げかけます。し
かし、その少ない登場人物によってのみ彩られてきたのかと言えば、もちろんそ
れは違います。その発展の裏には、名前の知られていない、数多くの星達が光っ
ていたのです。
 今回、滑空の歴史とともに滑空の発展に貢献いただいた滑空諸先輩方の発掘
と、日本の空を切り開いた音無き翼の”滑翔機”を検証しながら、その想いを再現
してみたいのです。            

  *「滑翔の灯」は(かっしょうのひ)と読んでください。「灯」は「翼端灯」
をイメージしました。左右で一対、つまり一人ではなく複数の力が合わさってと
いうイメージで「滑空機を作った方」、「滑空された方」、「滑翔した機体」を
紹介していこうと思います。

 これが、古(いにしえ)の滑空界を背負ってきた方々への報償歌となれば幸いに思います。

 

滑空史保存協会バナー(寄贈 セメダイン株式会社)

   
   

 

 ◆滑空史保存協会顧問
        滑空史保存協会ホームページ開設にあたり協会顧問航空  
         ジャーナリスト川上裕之先生の「ご挨拶」をお届け* いたします。

 川上裕之でございます。

 皆様にごあいさつ申し上げます。

 人間の一生は、人との出会いと別れであると言います。4年前に食道ガンの手術
を受け、声を傷めてしまいました。その頃から別ればかり続いていました。落ち
込んでいた私に出会いがありました。河邊新一という人です。
 70代になってできたただ一人の友、と言っていいと思います。しかし、手紙
と電話とメールを介しての友、顔も知らぬ、握手もしていない友です。私はその
人に、私の持っている航空機と鉄道に関する本と資料、全てを託することにしま
して、昨年お送りしました。昭和18年の本もあります。一昨年買った本もあり
ます。紙一枚の資料もあります。これは全部私の孫のようなものです。どうぞよ
ろしくお願い致します。
 実は私は小学校2年生のとき、朝日新聞社の神風号の飛ぶ姿に見とれ、飛行機
のとりこになりました。飛行機をつくる技術屋になるのが夢でした。敗戦はそれ
を許しませんでした。
 皆さんはきっと、どうしてアナウンサーがグライダーの本を書いたんだろうと
思っていらっしゃるに違いありません。それは逆なんです。飛行機屋がアナウン
サーをしていたんです。こう考えていただければお分かりいただけるかな、そう
思います。
 私は、たった一度の人生をただアナウンサーだっただけで終わりたくありませ
んでした。生まれて一人前になるまで25年、アナウンサー25年、航空技術史
研究25年、そうして今80歳近い、いえ、80年近い私の一生の時代は日本に
とってどんな時代だったのか。日本の近代史、戦後史を理解し、その中で私が何
をしたのか、何をできたのか、何ができなかったのか、しっかり確かめ、納得し
たいと思い、関係する本を次から次へ、手に入るものを片っ端に読むことに毎日
を費やしております。まあ、人生で言えば第4楽章です。
 私は自分の一生を自分で納得して自分で幕を引きたいんです。

 皆様にお預けした資料は先ほど申しました私の孫のようなものです。私は孫に
も恵まれて男の子が5人おりますが、6人目の孫でございます。どうかよろしく
お願い致します。
 これからもまだ未整理のものがありますので、幾らかお贈りすることができる
と思います。
 長くなりました。ご挨拶を致しました。
                                     平成19年2月1日