活動委員長挨拶

ごあいさつ

資料編纂 工作塾 松本陽一

 滑空史保存協会のホームページを開設するにあたり一言ごあいさつ申し上げま す。

 私は協会の活動委員、模型工作の部門を担当することになりました鳥取の 松本陽一でございます。私の少年時代は太平洋戦争の最中でありまして、中学では勉強以外は滑空訓練 と学徒動員で工場に働きに出ていました。

 滑空訓練は文部省1型、朝日式駒鳥型に乗っていました。昭和20年1月、B-29の 飛んでくる空襲の最中、旧制中学4年生だった私は上級学校受験のため中央滑空 訓練所の中に開校された滑空工業専門学校に行ったことがあります。山陰の片田 舎から茨城県石岡まで、列車を乗り継いで2日がかりで行ったことを思い出しま す。教官だった清水六之助滑空士の案内で、格納庫の中のオリンピア・マイゼ号 のコクピットの中に入らせてもらい、操縦桿を動かしたり、スポイラーのノブを 引っ張って出し入れした感覚は今でも昨日のように覚えています。受験のほうは 視力不足のため不合格となりましたが、その後浜松高等工業専門学校の航空機科 に合格し、学徒動員で終戦まで名古屋の三菱重工業で飛行機の製造に従事してい ました。

 私の子供の時の楽しみは工作で模型グライダーを作って飛ばすことでした。自 分で設計をし、材料を選んで製作し、飛ばす。この三段階を味わえるのは模型な らではのことです。戦争も激しくなり模型を作るゆとりもなくなり、敗戦とな り、模型作りも中挫しましたが、昭和30年代の前半から模型も復活しはじめ、 30年代後半からラジコンが普及したので早速ラジコンを組み込んで鳥取砂丘で 飛ばしていました。

 2005年の4月河辺本部長からお電話があり、滑空史保存協会の存在を知 り、趣旨に賛同して協力させてもらうことになりました。現在の世間では、滑空 機の草創時代、発展時代のことは知られてないようです。このホームページで模 型工作を通じて滑空史、模型の楽しさを次代の後継者に伝えることができれば幸 いであります。 私は自分の研究や趣味の糧の集大成として皆様と情報を分かち合いながら戦前 の滑空の世界に浸ってみたいと思っております。

活動委員長挨拶