滑空史年表

 日本の滑空歴史

 

            昭和37年佐藤博起稿の「日本グライダー史」は 

            日本を含む世界初の日本滑空史となって初登場

            となりました。詳細はトップページホーム活動報告

                「滑空史年表作成への参加」

            をご覧ください。

                                                  目次へ
 日本滑空は「何時」を起点にしたら良いのか、苦慮しました。

当然、いろいろな滑空機歴史書を見るのですが、これがまた諸説もいろいろあ

り、権威ある航専門書でも納得できないところがありました。それほど1945

年昭和20年以前の滑空歴史が薄いのです。だからこそ今ここで歴史が神話にな

らないように精査出来ればと思ってもいます。最近はインターネットで滑空機を

検索してみれば航空関連サイトで新しい仮設も見えます。今回新参者の滑空史保

存協会は仮設に至る技量もありませんので主軸を日本グライダー史年表原稿(九

州大学佐藤博著)より、「日本滑空史(昭和37年起稿文)」からお届けいたし

ます。滑空史保存協会では歴史精査のために(財)日本航空協会機関冊子、他を

見据えて作成して来ましたが決して絶対的なものではありませんので皆様からの

ご指示御指摘も頂き完成してゆきたいところです。

 

 生前九州久留米工業大学学長時代佐藤博は河辺との対談で、ゆくゆく自分が滑

空の集大成を手がけることが宿命だと語っています。佐藤が記述する古の滑空史

の起算は1909(明治42)年から始まって1945(昭和20)年でその筆

をおいています。その中で佐藤が「グライダーと称せる」文言を使用したのが昭

和3年で次に「機体」の完成度、「操縦」に値する構造、滑空士操縦という3点

から、「グライダーが飛んだ」という文言を記載したのが1930(昭和5)年

です。滑空史を細かく紐解いていくということから考えると、佐藤の記述にもま

だまだ荒いものを感じますがさすが学者であることを静かに表すなかなかの年表

(時系列)で仕上がっております。ぜひ、ご一読くださればと思います。

※ 本ページ記載記事は故佐藤博の直筆手記A4紙200ページ余を、滑空史保存

協会鳥取の松本陽一活動委員により活字変換しました。原手記はA4版横、縦書

き直筆ですが、ここでは横書きのワードで変更しました。

※ 本年表の記載内容は原本に従っています。

※ 原本手書きは漢数字、旧書体漢字が使用されています。

※ 使用活字や数字表記は現代当用漢字、アラビア数字に変更。ただし一部には 

旧仮名使いを使用しています。

※ 一部記載事項が起稿当時からの歴史の中で変更の必要もある記事がありますが

ここでは佐藤記述に沿っております事をご了承ください。また佐藤年表では「国

内篇」と「国外篇」が混在記述されていますので「国外篇」は別途記載にしました。

昭和14年から滑空界に猛烈な活動が起こります。よって年表内容が増大します

ので1年間を4ヶ月単位で分けていますのでご了承ください。

   編集者    VSHA滑空史保存協会 鳥取 松本陽一

   編集責任者 VSHA滑空史保存協会 本部 河辺新一

   出典 九州大学 佐藤博 

 

滑空史の年表を精査しわかってきたことがあります。それは忙しい佐藤博がその

現場で収録できたものはわずかであったことです。そのほとんどは新聞社、航空

関連、雑誌社からの情報でつずられております。反対に民間レベルでは朝日新聞

航空朝日編集委員小森郁雄は台湾、満州と実際に飛んで回って取材をし、航空時

代社渡部英一も小森と同じ道を歩んでいます。その内容は逐一九州帝国大学に集

まって来たところが立証できたのも一つの収穫となりました。

ゆえに佐藤も引用ではその出典を書いていますが、先方の情報で書き込んでいま

すので現在では少し事実関係が変わったところもあるようです。次に面白いこと

は時代がどんどん流れてきたのになぜか新しい事実が誕生しているところです。

これは別の世界でも同じことが見られるのですが常識で考えれば時間経過ととも

に薄れてゆくものがなぜか確定事実として表に出てきます。しかし残念ながら滑

空史ではその立証となる機体、写真、図面、スケッチなどが一切残されていない

のも事実です。ここに今から皆様が協会会員となられて「滑空史ファシリテー

ター」となって地域で「滑空の歴史掘り起こし隊」として動いて頂く道が開ける

のです。「凧で飛んだ」「表具師が飛んだ」「ひもで引いたら浮き、接地まで紐

があったのでたので滑空ではない」いろいろなことが残っています。確実な文言

として残ることもすくなかった「語り部の物語が事実として確定」出来るもの

か、「地域おこしで引用されていきながら記念碑までの道がひらけてしまったの

か」、、。ロマンをロマンとして残しながら真実を探索するのもまた平成の時代

の責任でもあるのではないでしょうか。(文責河辺)

現在滑空史年表は日本国内、海外(現在外国語翻訳はしていません)を検索して

もここまで詳細な年表は初めての公開となります。協会の姿勢は「情報の固守」

ではなく「情報の公開」ですので年表は皆様のお取り扱い方で生かされることを

切に希望しています。