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 9月17日、神奈川県丸子多摩川滑空場で飛行協会主催の滑空ディスプレーがあったが、安房菊次一級滑空士が、セカンダリーのウインチ発航で旋回している時、50mほどの高度から錐もみに陥り、1旋転して観衆の目前に墜落、重傷を負い、間もなく死亡した。強風で気流が甚しく悪い時に、横風を受けつつ緩速旋回をして錐もみに陥ったものと思われる。

  

 9月17日から同21日まで、9日間にわたり朝鮮航空連盟主催の全鮮滑空大会が開かれた。日本帆飛連の志鶴滑空士(ゲッピンゲン1型)大牧飛行士(クレム25)は各地の飛行場でグライダーの曲技を公開し、佐藤九大助教授と志鶴滑空士は講演をした。日程は17日京城、18日平壌、19日新義州、21日大邱。平壌から新義州に向かう途中で荒天のため曳航索が切断し不時着したので、新義州は講演会だけになった。曳航距離1,450km。

 10月9日から同15日まで、阿蘇大観峯で、飛行協会、青年航空団、九大航空会が共同で阿蘇グライダー研究会を開いた。参加者は田中丸(九大)、清水(帆連)、大黒(飛協)、小川(青航)、河辺(青航)、西島(青航)、尾崎(青航)、上原(青航)の8名、機体は九帝七型佐藤式TC、名古屋式105型、日本式鷹型が2機、合計5機で、成績は、田中丸(九帝七型)7時間9分、河辺(鷹型)5時間19分、清水(TC)5時間18分、田中丸(九帝七型)3時間12分、2時間21分、小川(名古屋式)2時間17分、尾崎(鷹型)2時間11分、清水(TC)1時間26分、高度は清水、小川各々1,600m、会期中の滑空時間合計は30時間6分に達するという好成績をあげた。技術指導は九大佐藤助教授、運営指揮は青年航空団福岡県支部副長高橋大佐であった。

 

(青年航空12月号、「阿蘇グライダー研究会を語る」九大助教授佐藤博、青空副団長堀丈夫中将、福岡支部副長高橋大佐、飛協嘱託加治木中佐、大毎航空部員志鶴忠夫一級滑空士、帆連清水一級滑空士、九大航空会田中丸一級滑空士、青空本部助教授小川健爾一級滑空士、青空団員、河辺忠夫一級滑空士、上原峯次、尾崎健吾、西島貞人、平松時善一級滑空士等)

(航空時代11月号、「意義に冨める阿蘇グライダー大会を評す」鷲見譲次。「阿蘇大観峯に翔る」清水緑)

  

 11月3日、かねて満州飛行協会ではプライマリー50機、セカンダリー20機、ソアラー20機の大量購入を決め、その註文を日本のメーカーに出すことになっていたが、本協会は発展的に解消して、この日満空務協会が創立された。またこの月には満州航空会社附属工場においてMG3型と呼ぶゲッピンゲン1型と同様なソアラーを試作した。

 11月15日、文部省では滑空訓練指導者陣を作るために、松下弁二一等飛行士、一級滑空士、祝實之、小島康夫の二級滑空士を嘱託にして、学校滑空訓練の実務に当たらせた。

  

 11月中旬、全印度グライダー協会からわが国の飛行協会に、指導者の派遣かたを依頼してきたが、適当な候補者がなくて断った。 

 印度には、全印度グライダー協会がアラハバットを中心として各地に練習場をもち、1940末までには2万5,000人の滑空士を養成する目標に向って活発に活動していたところ、欧州戦勃発のため、英国その他から来印して指導していた人たちが皆本国に引上げたので忽ち支障をきたした。そこで同協会代表のマラビア氏はアラハバット駐在の日本總領事を介してわが飛行協会に指導者の求人を頼んできたわけである。

 

 12月17日、台湾国防義会嘱託、早坂文之助二級滑空士は、台南飛行場でウインチ曳航上昇中に、ウインチ自動車事故のため、牽引力がなくなり、同時に索が離脱しないままで旋回したため、錐もみになり墜落即死した。

 プライマリー、セカンダリー級の訓練は、飛協、文部関係、青空、学連、帆連で年中ほとんど絶え間のないように行われた。ことに文部省が積極的に滑空訓練の奨励にのり出してからは中等学校、大学、高専の学校滑空訓練はいよいよ盛んになってきたので、文部省当局はこの健全な成長のために、滑空訓練教程を作ってこの夏に各府県に配布した。この年には滑空部をもつ中等以上の学校は400校を超え、滑空士は一級約70名、二級約380名になってきた。
 

(航空時代、昭和14年12月号「、阿蘇帆走飛行研究会の目的と成果」九大航空会、一級滑空士、田中丸治広)

 

12月下旬、グライダー・メーカーとして有名な前田建一氏は、事変勃発後間もなく出征し、軍曹として中支に転戦して武勲をたてていたが、このほど召集解除となって晴れの帰還をし、以前経営していた福岡市の前田工作所を復活拡大して、グライダーの製作を開始する計画である。

 12月1日、大阪の福田軽飛行機KKが陸軍航空技術研究所の注文で作っていた光式6.2型複座ソアラーが完成し、この日、同社の小田勇一級滑空士が搭乗し、篠田飛行士操縦の立川式R38型練習機に曳航されて大阪飛行場を出発して立川陸軍飛行場に到着、航技研に納入された。

 

 12月初め、美津濃グライダー製作所の主任中野徳兵衛氏は少尉で応召したので、後任は吉川精一滑空士が当たることになった。

 

 

○航空知識、昭和15年1月号

 

「ドイツグライダー研究所(DFS)について」九大助教授佐藤博

昭和141227

帝国飛行協会總務理事 堀 丈 夫

九大助教授 佐 藤  博 殿

(オリンピア・セイルプレーン図面の件)

 拝啓永らく御高配を願ひ候オリンピア・セイルプレーン図面複写出来致候に付2部拝呈仕候間御受納下され度候

 追て民間団体に頒布致候際の誓約書等書類写1通御参考までに同封仕候、本図面は貴官に対し無償進呈仕候

尚オリンピア・セイルプレーンは1月20日頃山陽丸にて横浜着の予定に候

  

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  昭和14年12月20日 帝国飛行協会
  DFSオリンピア・セイルプレーン図面頒布に関する覚書
 帝国飛行協会が日本における民間航空を代表し加盟せる国際航空連合会(略称FAI)においては、さきに1940年度オリンピック大会のグライダー競技に出場すべきグライダーの要目を決定し、これに基き各国において製作せるものをFAI滑空委員会において詮考の結果ドイツ滑空研究所(DFS)マイゼ型をもって1940年度オリンピック大会用型式に決定、これをDFSオリンピア・セイルプレーンと改称せり

 右のオリンピア・セイルプレーンに関し帝国飛行協会はドイツ飛行協会より回章(別紙写)に接したるを以て、本機1機を註文すると共に、右図面の譲渡をドイツ飛行協会に請求し、図面1揃の譲渡を受けたるを以て、之を複写し本会並に航空局において適当と認むる団体に次の誓約書を提出せしめ、之が厳格なる履行を条件とし実費を以て頒布するものとす、頒布すべき図面、附属書及実費次の如し

 1、設計図  253

   仕様書   21

   規 格  240枚

   設計要綱(九大助教授 佐藤工学士訳)1冊

右1揃1部実費 金50円也(但し図面には翻訳を付せず)

 2、製作団体に対しては1ヶ所に2部を交付するものとす

 3、図面その他に翻訳を付して交付する場合の実費は追てこれを定む
                                            以上

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   誓 約 書

 

 帝国飛行協会において複写せられ候DFSオリンピア・セイルプレーン図面1揃2部を実費にて譲受け候に就ては之が使用に関しては、オリンピック・アマチュア精神を尊重しドイツ飛行協会の申出に基づく左記事項を固く遵守仕候、万一違反せる場合は、如何様にも御処分相受け申すべく候

 1、本図面を一切他に譲渡すべからざることは勿論、譲渡の目的を以て複写せざること

 2、本図面により製作する場合は、その用途機数等を貴会に届出で認可を受くること

 3、商業上の目的を以てDFSオリンピア・セイルプレーンを製作せざること

      4、新聞雑誌等の広告においてDFSオリンピア・セイルプレーンの文言を使用せざること、
     但し帝国飛行協会より特に許可ありたる場合を除く

     5、DFSオリンピア・セイルプレーンを製作せる場合は誓約書附則による記号及び塗装を実施すること

 

 

 昭和1 年  月  日

 

帝国飛行協会 御中

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 附 則

1、このオリンピア機にはすべて、その型式標示としてDFS Olympia と明記すること

2、搭載量(パイロットとパラシュート)85キロとして、トリム・プランを作ること

3、DFSオリンピアはドイツの国内で製作されるものは、アイボリー色で仕上げている、他の国で作られるものも、これと同色にするようにすすめる

 

 

 航空局では昭和15年度は大いにグライダーを奨励しようと、今までの試作奨励費の外に項目を設けて、大蔵省に予算要求をしていたのが50万円認められた。これは飛行協会に交付して、グライダー界の振興に使われることになる。

 

 また文部省も15年度から積極的に中等学校生徒のグライダー訓練を実施することにして、すでに指導部の陣容を整えつつあり、またこれに必要な予算も、不十分ながら幾分認められたので、いよいよ活発な動きをみせることになるだろう。

 

 

 

 

  

 

 



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