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 5月1日から6月9日まで、40日間、飛行協会と青年航空団は、甲府飛行場で、滑空訓練指導員養成講習会を開いた。松下弁二主任教官はじめ諸教官、30名の講習生非常な張りきりかたで、毎日午前4時から早朝訓練をやり、飛行機曳航訓練まで実施するほど好成績をあげた。

  

 

 

 5月19日から6月4日まで、飛行協会は帆走飛行連盟、東日、大毎と共催で、紀元2600年の奉祝事業の一つとして、過般ドイツから購入したオリンピア・セイルプレーンによる日本一周曳航飛行を行った。清水六之助滑空士操縦のオリンピア機を、大黒喜一飛行士操縦、加藤幾太郎機関士同乗の九五式3型練習機で曳航し、コースは東京羽田、小名浜、米沢、仙台、盛岡、青森、弘前、能代、酒田、新潟、小千谷、高田、福光、金沢、敦賀、京都、鳥取、米子、広島、松山、高松、姫路、大阪、名古屋、浜松、三保、羽田、全コース約2,900km、各着陸地で清水滑空士は曲技滑空と講演をし、全国各地の人々にグライダーに対する認識を広め、興味を起こさせた。

 

 

 

 5月中旬、福田軽飛行機KKは、文部省式プライマリー1型を真先に製作した。本機のデータは次の通りである。翼幅10.3m、機長5.65m、主翼面積13.8㎡、翼型ゲッチンゲン532、縦横比7.8、空重量90、搭載量60、全備150kg、沈下速度1.1m/秒、滑空比11.6、座席の前方に支柱のあるグルナウのプライマリーに似た型式のものである。

 

 

 

 

 文部省標準型プライマリーを学校で購入する時知っておくべき要領は(1)これを作っているメーカーは滑空機工業組合員の5社だけである。(2)本機の価額は1機580円と公定してある。(3)機体の検査関係の仕事、堪航証明書申請手続、協会の補助金申請など、メーカーに頼めば無料でやってくれる。(4)飛行協会の機体製作費補助金は、プライマリー機では1機につき200乃至300円。(5)ゴム索(公定価額1本139円)を購入するには、文部省体育課内滑空訓練係に、ゴム索配給許可申請書を出すと、文部省は航空局に手続し、航空局から、どの店で現品を買うようにとの通知を購入者に出すことになっている。

 

 

 

 5月の半ば、飛行協会は紀元2600年奉祝記念事業の一つに、関東地方に大滑空場を設置する計画をたて、土地を探していたが、いよいよ茨城県石岡町外の櫟林に決定し、約30万坪の土地の買収も終わり、伐木に着手した。協会がここを選定した理由は大体左の4つと考えられる。(1)東京より余り遠くない、即ち、常盤線、石岡駅より、6km、または同線羽鳥駅より2km、何れも上野から約1時間半の行程。(2)周囲に小山があって訓練に便。(3)地価が安い、石岡町長の尽力で約15万円の安値で土地を買入れた。(4)同地方の民心が大変淳朴である。協会はここに中央滑空訓練所を設置するつもりで、必要な校舎、グライダー格納庫、工場などを本年中に建てる予定である。

 

 

 

(航空時代、5月号、グライダー軍曹の戦地土産、前田式105型プライマリー成る、構造簡易な驚異的試作品)

 

 

 

(帝国飛行協会が炭焼直営)協会が石岡町の付近に30万坪を買収した時、櫟の立木は売主の方で伐採し、根は協会の所有になるという契約であった。協会では滑空場を作るために抜根機で根を抜き、これを木炭にして売り、整地費の一部に当てることにした。この計画が洩れると、この仕事を請負わしてくれと運動にくる者が大勢押し寄せてきて、煩にたえないので、いっそのこと炭焼きを直営にしようということになり、その作業を満蒙開拓の青年を訓練している内原訓練所の訓練生に委託することにした。30万坪全部櫟林なので、根ッこを全部木炭にすると凡そ3万俵になる計算で、しかも大へん良質の木炭だということである。

 

 

 

 なお、内原訓練所では、グライダー訓練の有益なことを認め、石岡の中央滑空訓練所ができたら、内原の訓練生も滑空訓練に加えてもらうことに決まった。

 

 

 

 

 

 6月1日、大阪府立泉尾高女では全生徒1,000名中、750名で航空婦人会処女団を結成し大阪府に文部省型プライマリー1機を献納、その命名式(白百合号)を行った。

 

 

 

 

 

 

 6月9日、大日本飛行少年団では千葉県松戸飛行場で、滑空日本満10周年公開滑空訓練大会を開いた。参加校は帝国商業、足立学園、逗子開成中学、木更津中学、神奈川商工実習校、佐原中学、東葛飾中学、茨城工業、飛行少年団の9つ、綜合得点は飛行少年団280点(番外)、開成277点、帝商275点、木更津269点、・・大変盛会であった。

 

 

 

 

 6月19日、東京で開かれた全国工業学校長会議に出席した250名の先生を立川飛行場に案内し、陸軍航空技術学校を参観させた後、文部省主催で各種グライダーの飛行を見せ大いにグライダー知識を注入した。

 

 

 

 

 

 

 

 6月22日、東京で開かれた全国体育主事会議の会期3日間のうちの1日をさき、出席者一同、折から滑空訓練講習会が開かれている甲府飛行場に赴き、一同プライマリー訓練を体験した。

 

 

 

 

 

 

 6月30日、千葉県学校滑空訓練連盟の結成式が千葉市であげられた。会長は県知事、副会長は学務部長が就任した。これは今春文部省内に設けられた学校滑空訓練中央連盟に加盟するもので、千葉県下48の中等学校をメンバーとしている。この他に地方連盟の結成を準備している県は30ほどあるが、連盟結成のトップを切った栄誉は千葉県が担うことになる。

 

 

 

 

 

 

 

 7月15日から8月23日まで、40日間、文部省は東京府下拝島で中等学校教員に二級滑空士の技倆を授ける目的で、40名の講習生を合宿訓練した。教官は松下弁二指導官、小田勇、利根川勲、小島康夫、原田覚一郎の5名、成績優秀な者にはソアラーもやらせる。

 

 

 

 

 

 

 

 7月15日から40日間、文部省、飛行協会主催のグライダー製作講習会が、大阪市立都島工業学校で開かれ、中等学校の先生約60名が参加し、会期中にプライマリー

文部省型を10機完成し、閉会式には、そのうちの5機で編隊グライディングを行った。文部省、飛行協会のグライダー製作講習会は、これで3回やったことになるが、関西ではこれが初めてであり、しかも従来のに比し、この会は期間も長く、また大規模なものであった。講師は文部省の山崎好雄氏、福田軽飛行機の葉啓聰氏の2人であった。

 

 

 

 

 7月19日、わが国唯一人の女流一級滑空士、福田軽飛行機の岡本徳子嬢は、大阪飛行場で新セカンダリー機を試験飛行中、西南の強風に流され、日本航空の格納庫の屋根に衝突し両翼を折り、7米の高さから地上に顛落して、背骨を屈曲し、全 治4週間の負傷をした。

 

 7月26、7、8日の3日間、飛行協会と朝日新聞社共催の第3回全日本学グライダー競技大会が霧ヶ峯で行われた。本年は高専および大学生でセカンダリー以上の技倆をもつ者の中から約120名を選び出し参加させるようにした。これの前に7月12日から24日まで学生航空連盟のグライダー合宿訓練が、やはり霧ヶ峯で行われた。大会第3日目には東久邇大将宮殿下がお出でになった。成績はセカンダリー優勝者、外山總雄(法大)、坂本隆茂(神戸商大)、ソアラー、ウインチ発航、1位、荒井浩(法大)、2位、松本良三(立大)、ソアラー、飛行機曳航、1位、篠原次郎(明大)、2位、牧野伊兵衛(同志大)。(航空時代9月号、「第3回全日本学生グライダー競技大会を観る」長谷川直美。) 

 

 九大の佐藤博、助教授は7月31日付で教授に昇任した。

(航空時代8月号、特集、日本滑空界の10年誌)

 

 8月10日から15日まで6日間、飛行協会、帆走飛行連盟、大毎、東日共同主催の第四回全日本帆走飛行競技大会は紀元2600年奉祝記念の行事として冨士宝永山(2600m)をスタート点としオリンピア機によって日本最初の距離競技を行うこととし、8月10日に山麓御殿場西部板妻飛行場で開会式を行い、それから参加機を皆で宝永山に運び、選手や関系者一同は5合5勺の石室で待機していて15日になって山上からスタートした。成績は気象条件に恵まれず予期しただけはなかったが、1位、小田勇71キロ、特別、志鶴忠夫70、3位、吉川精一66.6(番外)、2位、沢田兼160.4、3位、大久保正一、56、4位、清水六之助52.5キロ。

 

 

(航空時代9月号、「長距離帆走飛行競技大会詳報。宝永山飛行を顧みて」大河原元)

 8月23日から9月1日まで10日間、満洲空務協会主催の第3回全満州滑空大会が開かれ(新京西飛行場で)日本からも学生航連の武久昌次、飛行協会の小川健爾、朝鮮航連の朝川龍三、各二等飛行士、一級滑空士の3選手が参加した。また九大の佐藤博教授も指導のため参加し、大会の指導をし、講演をした。参加者機体はソアラー15、セカンダリー15、プライマリー10機、曳航用飛行機6機、参加全員150名、曳航機操縦者、ハルピン支部の別府景光一等飛行士、一級滑空士、奉天支部の權田善吉一等飛行士、一級滑空士、撫順支部の久保田太一等飛行士であり、今までにない大がかりのものであった。大陸特有の好気象昇件に恵まれ、次のような、すばらしい成績をあげた。曲技滑空、1位、武久、2位、朝川、3位、小川、高度競技1位、小川(1,300m)、2位、武久(1,050m)、3位、朝川(1,010m)。距離1位、朝川(指定コースの周回距離96km)、2位、武久(55km)、3位、藤原金太郎(42.5km)、滞空1位(朝川)4時間42分)、2位、小川(4時間28分)、3位、武久(3時間13分)

 

8月30日、距離競技に指名された選手は武久、藤原、朝川の3君、コースに関する指達は「飛行場より94度、吉林街道の大営城子上空2,000米で離脱、飛行場に帰り、西南方向に孟家屯に向い、余裕あれば大屯に向う。大屯以南は絶対に飛行しないこととし、飛行場に帰着すべし。」審判委員の佐藤九大教授から「しっかりやり給え」と渡された携帯食量とキャラメルを受け取った3選手は、この指定コースが乗り切れるだろうかと幾分不安そうな顔つきで晴れ渡った空を見上げた。0時11分藤原君(トンボ型)、0時29分武久君(鳳型)、2時22分朝川君(トンボ型)の順にスタートした。まず藤原機が3時過ぎ帰ってきた。高度は約600m、これから寛城子方面に向ったが高度は400mに落ちた。1時間以上も弱いテルミークの中で粘っていたが、高度は幾らも得られない、3時50分、ついに機首を飛行場に向けた。このころ朝川機が姿をみせた。だが高度は500mほどしかない。もうだめかなと思っていると突如彼のトンボはエレベーターのように上昇しはじめ、みるみるうちに1,000mの高度を獲得した。彼は悠々と次の目的地孟家屯に向い、40分後に飛行場に帰ってきた。しかし高度は400mしかなく、着陸を決心したようにみえた。その時何となく弱々しそうに飛んでいたトンボは急に生き返ったように急旋回に移った。彼はまたも忽ちのうちに1,000mまで上昇し、再び南方に針路をとった。次の目的地の百家子までは上昇風に恵まれたが、帰りはもうテルミークも弱ったようで、高度も減るばかりで、彼は第2着陸地の南飛行場に向い、5時37分に着陸した。朝川機の翔破コースは、大営城子→新京西飛行場55km、西飛行場←→孟家屯駅間往復18km、西飛行場→百家子12.7km、百家子→南飛行場10.5km、總飛行距離96.2km(東洋新記録)所要時間2時間12分。本大会における滑空時間合計41時間4分、1時間以上の飛行10回、2時間以上7回、3時間以上3回、という好成績をあげた。(航空時代11月号、全満滑空大会詳報、大会の總指揮に当たった満洲空務協会、航空科長、弘中正利) 

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 日本女流滑空士は一級岡本徳子嬢1人だったが、今度、松平和子二級滑空士が一級に昇格した。また二級には福島良子嬢がいたが、今度日向美智子嬢が二級になり、一級が2人、二級が2人、合計現在4名になった。

  8月27日、豊橋市外高師原で滑空訓練をしていた愛知県の西尾中学の先生眞瀬悌三氏はセカンダリーで自動車曳航中、索が離脱しなかったため墜落死亡した。

   8月28日、東京深川飛行場で、航空日制定記念グライダー大会が行われた。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――   ソ連の第15回全聯邦グライダー競技大会で6月11日に距離(速度)競技が行われ次の成績をあげた。150km指定コースの速度競技、1位サフツォフ(2時間32分)、90km指定コース速度競技1位プロホーロワ(女流滑空士)2時間4分。これは朝川君の96km、2時間12分とほとんど変わりはない。   7月21日、読売新聞社の企画の日本グライダー倶楽部の発会式が二子玉川の読売飛行場で開かれ、同日から会員80名の滑空実習が始まった。このクラブは「一般の国民をしてグライダーの研究及び練習を行わしめ、航空思想を普及発達させると共に団体訓練並に空中観念の涵養を計る」のが目的で、A会員はプライマリー練習生(4ヶ月を1期とし、約30回練習させる)、B会員は滑空士免状所有者で高級滑空の練習をさせる。機体は伊藤C7、ソアラー、同B2、B6セカンダリー各1機、プライマリー4機。


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