1.滑空史保存協会
2.牧野勤倹
3.小森郁雄
3-1小森滑空機リスト表
3-2小森アルバム
4.島本真滑空士
5.河辺茂滑空士
6.山田八郎滑空士
7.川上裕之
8.河邊忠夫滑空士
9.林二郎滑空士
10.松本陽一
11.谷口次郎市
12.木村 清
13.大庭 茂滑空士
14.下里 猛
15.長い眠りからの目覚め
16.紛れ込みの資料
17.古のニュースペーパー
18.あんな本こんな本
19.つながりも絆も
20.追憶の彼方
21.高山宗夫
22.石村一明
23.葉啓聡
24.頓所好勝
25.金光漢滑空士
26.前田航研工業
27.平松時善滑空士
28.青葉笙子
29.松下弁二
30.常国隆滑空士
31.前田航研人物像
32.そうだったのか
33.表彰状、感謝状、色紙、免許証ほか
34.吉川精一滑空士
35.久米竹治郎
36.郡 武令
37.河辺忠重
38.岡本徳子・葉徳子
39.木村貫一
40.大日本青年航空団
41.野沢正寄贈資料
42.(財)日本学生航空連盟
43.海外のパンフレット
44,杉山均
45,大久保正一1級滑空士
46,牧野鐡五郎
47,佐藤一郎
48,大和択三
49.タイ王立航空博物館
50,地図「米軍作成篇」
51,佐藤 博
52,弘中正利
53,安藤飛行機研究所
54,乾滑空機研究所
55,セメダイン㈱
56,佐藤博教授
57,東京帝国大学資料
58,神戸グライダー研究会
59,前田建一
23.葉啓聡



葉啓聡、、、「中華民国台湾」を母国としながらも戦時色厳しい日本でその腕を磨き,日本の敗戦後、日米講和条約昭和27年を機会に一気に日本記録機滑空機SA機の製作を行い、その後日本航空界が成長期に入るのだが、たぶん彼は人脈の衰退が身にしみて解ってきたのであろうか、見送りもなく送別会もない中で日本を離れるのである。岐阜の木村貫一の葉に対する評価は厳しいものがあるが葉は国際滑空機大会に小田勇と技術者として日本代表で参加している。彼は何故その後母国へ戻ったのであろうか。彼と共に歩んでいた小田勇でも彼に新天地を探せなかったのか。日本人の人間性国際化はいまだ遠いのであろう。残念で仕方がない。

希望に燃えて中華民国台湾から大阪の福田前田に滑空機製作の見習いできたが下宿部屋も頂けず、滑空機製造の工場の片隅に作った木製簡易ベットが唯一彼の癒しの空間であった由。
◆1、当時を回顧された手紙

◆2、当時の葉啓聡と福田前田工場ドアのロゴマークはめて 見ます。「F&M」のイニシャルは「福田前田」と見ましたが。

2011年5月8日更新                  写真出典 大野政美
◆3、1952年昭和27年ころの写真と思われます。
    列中心の背が高い方が葉啓聡、右に小田勇
    左に写真出典の「本多工房」大野政美先生。
◆4、昭和30年「写真広報」第2巻9号。
   
昭和20年敗戦前に大日本帝国が出していた大衆向け
   写真雑誌「写真週報」の流れを感じる書物。文字よりも
   写真を多く貼って「見やすい」ものにしている。
記事内容
   に葉ご夫妻が紹介記載されています。
   表紙の機体は「JA0067」萩原式H-22A型ですね。
   写真    

写真5の開設----この機体が有名な東大式LBS-3型です。初飛行は1956年昭和31年、世界で初のポリエステル樹脂で胴体が成形されています。当時世界は滑空機に樹脂を応用していないときです。胴はポリエステルで主翼尾翼が木製布貼りでした。
    
                            



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