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昭和6年(1931)

   1月末に、かねてより日本グライダー倶楽部が伊藤飛行機製作所に注文していたセカンダリー・グライダーが出来上った。これはプライマリーに座席カバーをつけただけのものであったが、とにかく日本で初めてのセカンダリー機であった。

 

3月16日から2週間にわたり、同倶楽部は箱根仙石原で練習会を催したが、この間に教官片岡一等飛行士はセカンダリー機で1分20秒飛んだ。

 
  4月8日、同倶楽部は飛行館、星の間で總会を開き、会名を(日本グライダー協会)と改めることにした。続いて国際航空連盟の規定によってA、B、Cのグライダー免状規定を決め、同月10日に、第1回の免状授与式を行った。AとB免状をもらった者、沢雄一、鵜飼照彦、白石襄治、A免状をもらった者、清水六之助、林佳忠、金沢辰、合計6名であった。

 

 

 

           A、30秒の滑空と正規の着陸  

 B、1分の滑空とS字飛行、正規の着陸

 C、出発点より高く5分以上の滑空
 
  

  6月には福岡市で、航空研究家で建築士の前田建一氏が主唱者となり、九州帝大工学部の佐藤博助教授、志鶴忠夫飛行士、渡辺鉄工所飛行機部の伊藤隆吉飛行士それに九大の学生や社会人20名ほどが集まって、九州航空学生連盟(後に九州航空会と改称)を設立した。福岡市柳橋の前田ビル3階の事務兼工場でプライマリー機の製作にとりかかり、8月25日にその起工式をした。

 7月21日から3週間にわたって日本グライダー協会は東京、麹町小学校を会場にして日本最初のグライダー講習会を開き、無料で公開し、グライダー知識の普及をはかった。39名が熱心に受講した。

 8月1日から1ヵ月間、仝グライダー協会は信州菅平で練習会を開き、15名の練習生が熱心にとんだ。こうして片岡教官の4分36秒をはじめとして、鵜飼3分50秒、清水3分49秒、金2分46秒と大いに進歩をしめした。これらはいずれもセカンダリー機で猫ガ岳の中腹からスタートしたものである。

 10月20日、グライダー協会は、ドイツのマーガ・フォン・エツドルフ嬢のグライダー講演会を時事新報社講堂で開き、協会顧問、長岡外史中将と渡部一英常任理事が挨拶した。

 
 

  「雑誌グライダー」11月の創刊号、磯部鈇吉、本邦のグライダーに就いて、参照


昭和6年(1931) ~外国~

 この春、ドイツの新進グライダー・パイロット、グレンホフは当時の最新鋭機ファフニア号で、曳航出発でミュンヘン飛行場をスタートし、雷雨前線に乗ってチェコ国内まで272km飛んだ。

 またこの夏に、クロンフェルトはグライダーで英仏海峡を横断し、デイリー・メイルの賞金をとった。これは3,000mまで飛行機で曳航し、全然グライディングで海峡を渡ったに過ぎないがとにかくブレリオが動力付の飛行機で初めてこの海峡を渡ってから、22年たつと、グライダーがこれをやるようになったのである。

 この年末に、アメリカの飛行中尉コークは、ホノルルで、海岸の山に吹きつける季節風に乗って、滞空21時間55分の大記録を作り世界の滑空人たちをアッといわした。




 

 



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