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昭和7年(1932)

 1月23日、九州帝大では、工学部造船学科助教授、佐藤博氏を指導者として、学生約50名で九大航空会を設立し、前年にできた九州学生航空連盟(改称九州航空会)と協力してグライダーの研究をしてゆくことにした。佐藤助教授談「アメリカのグライダーは鋼管を沢山使っていて360ドルもするが、今私たちが前田君と協力して作っているグライダーは全木製で、会員が自作するから工賃はいらず、材料費だけで約250円かかった。

 

 

 2月21日、大阪の日本グライダー連盟では東京の日本グライダー協会の片岡、清水の両氏を招き、大阪の南郊、阪和電鉄沿線の信太山(しのだ山)で関西で初めてのグライダー公開飛行会を催した。

 4月25日、昨年から九大航空会、九州航空会が協力して作っていたプライマリーが出来上って、九大裏の多々良浜の埋立で志鶴忠夫飛行士の操縦で、武石喜三航空官の検査をうけた。続いて5月1日、両航空会の共同主催で福岡の城外練兵場で、九州で初めてのグライダー公開飛行をした。志鶴忠夫、伊藤隆吉の両飛行士が交々プライマリーを飛ばし、折からの博多名物の年中行事ドンタクに1万もの観衆を集めた。これ以来、毎日曜、祭日には、箱崎海岸に、あるいは練兵場に会員の練習をつづけた。

    (プライマリー 1号)         (プライマリー 2号)

昭和7年(1932)4月完成
翼  幅    10.60m            11.44m

全  長     6.56m             6.50m

主翼面積   17.0㎡             18.0㎡   
同アクスペクト比  6.6           7.3

同翼型  ゲッチンゲン532    ゲッチンゲン532  

空重量     73.9kg               87kg
乗  員     66kg                 65kg

全備重量   140kg               152kg

翼面荷重      8.2kg /㎡          8.5kg/㎡

  沈下速度     1.14m/s            1.1m/s
    失速速度     36km/h            36km/h

    滑空速度     45km/h            45km/h     
  
滑空比        10                10


 この練兵場は、明治44年に日野大尉が所沢から福岡連隊に転属になり、福岡の鉄工所で作らせた日野式単葉飛行機「舞鶴号」をテストしていた所である。

(グライダー、昭和8年3月号、藤田稔、「九州帝大航空会の生いたち」参照)

 

 

 九州航空会会則抜粋

 

1、本会は航空のスポーツ化により、その方面の知識趣味を養い、併せて剛健な心身を練り確固たる航空国民の素養を作ることを目的とする。

2、この目的を達するため、九大航空会と協力して次のような事業をする。グライダー操縦術の教習、グライダーおよび軽飛行機の設計制作、講習会、見学会、講演会の開催、その他

3、正会員、入会金3円、会費月3円(独立生計者)

        入会金3円、会費月2円(未独立生計)

  賛助会員、一時に2円以上寄附する者、会費不要

  特別会員、一時に50円以上寄附する者、会費不要

福岡県福岡市住吉柳橋前田ビル

      九 州 航 空 会

学科 九州帝大助教授   佐藤 博

制作 建築技師          前田建一

教官 等飛行士        志鶴忠夫

 同  等飛行士

   渡辺飛行機技師    伊藤隆吉

 

 



 九州帝大航空会の会則も九州航空会のとほとんど変わらぬが、会費は正会員年額10円であった。

 

 

 

 この夏、日本グライダー協会は「わかもと」本社の後援で山崎式ソアラー「わかもと」号で宝永山からの冨士山飛行を計画し、新聞紙上に滞空時間予想懸賞広告を出し、大きなセンセイションを起こした。本番飛行に先立ち、航空官立合のテストのために、7月27日、片岡文三郎飛行士は、わかもと号に乗り御殿場登山口、2合目から出発し、4分55秒の飛行後、出発点の近くの太郎坊付近に着陸の際、凹地に突込み胴体前部の操縦席を破損し、片岡氏は、かなりの負傷をした。協会は機体を修理して、片岡氏の代りに酒井市麿一等飛行士が、裾野の板妻陸軍飛行場でテストして好成績を得たので、機を宝永山に運び待機していたが、連日天候険悪で恢復の見込がたたず、ついに中止のやむなきに至り、8月19日これを発表した。

 

 

 冨士山宝永山飛行は、これから8年たって、昭和15年8月に、6機のオリンピア機によって実施された。

(雑誌グライダー、昭和8年1月号、佐藤博、「十文字号におけるグライダー練習の記」参照)

 9月10日、岡山県の金川中学校の山本勲教諭によって、岡山に西日本グライダー倶楽部が創立された。同氏は山本式A型プライマリーを春に完成し、続いて夏にはB型2機を完成している。(雑誌グライダー、昭和7年10月号参照)

 

 

 10月10日、東京理化学研究所の白石襄治氏が昭和4年から設計し始めていた「白鴎第1号」が出来上り、神奈川県中郡国府村中丸海岸でテスト飛行をした。これはスパン12.6m、翼面積18㎡、空重量145kgの練習用ソアラーで、テストは白石氏、遞信省電気試験所の仙波猛氏、日大生でB章を持っていた鵜飼照彦氏によって行われた。これから11月まで白石、鵜飼両氏が交々40回ばかり飛び、好成績を示していたが、11月14日の暴風で、格納庫の網小屋もろ共、押しつぶされてしまった。

 

 11月10日、中央気象台の藤原咲平博士の提唱の霧ヶ峯グライダー研究会が、東京一つ橋の学士会館で、藤原先生を会長として発会した。航空時代、昭和7年10月号の藤原先生の談によると「この研究会は、私の一寸した思いつきから芽ばえたものです。霧ヶ峯は私の郷里の山で、最近スキー場として有名になった。子供の時からよく知っている場所だから、スキーが盛んになるにつれて、ふとここでグライダーを飛ばしたら、うまく飛ぶだろうと思いついた。そこで帰郷のついでに、さらに地形を見に登ったが、誠にグライダーに申しぶんのない所のように思われたので、グライダーの先輩、磯部少佐や熱心な研究者の白石襄治君に見てもらった所、いずれも好適地であると言われた。それでこの計画を「考え方、解き方」の藤森良蔵君に話し、その熱心な援助により、本研究会の創立の運びとなったのです」。

 

 

 (「日本最初の常設滑空場木津川」史話48頁  粟津 実 参照)

 

 11月23日、本部を伏見桃山におく日本グライダー連盟では、京都奈良電車沿線、木津川原(京都府内)に常設のグライダー練習所を開設した。これを木津川滑空場と呼んだ。教官は清水緑氏外3名、機体は伊藤式ユニバーサル・プライマリーと、KO1号(これは川西の小野正三技師の設計製作したもの)の2機を使った(雑誌グライダー、昭和8年2月号、科学知識、昭和8年6月号参照)

 

   4月25日、去年から九大航空会、九州航空会が協力して作っていたプライマリーが出来上って、九大裏の多々良浜の埋立で、志鶴忠夫飛行士の操縦で、武石喜三航空官の検査を受けた。続いて5月1日、両航空会の共同主催で福岡の城外練兵場で、九州で初めてのグライダー公開飛行をした。志鶴忠夫、伊藤隆吉の両飛行士が交々プライマリーを飛ばし、折からの博多名物の年中行事ドンタクに1万もの観集を集めた。これ以来、毎日曜、祭日には、箱崎海岸に、あるいは練兵場に会員の練習を続けた。

 

 


 
8月26日から9月11日まで、九州帝大航空会と九州航空会は共同で、別府市から北方に約3里ほど離れた十文字原で、前に作ったプライマリー1台と、新しく作ったセカンダリー、九帝三型「十文字号」とを使って練習会を催した。最後の日、9月10日、十文字高原を引上げる際に、セカンダリー、十文字号は、志鶴教官の操縦で、別府まで空輸しようということになった。この日、数日来の豪雨はやんだが、天候は思わしくない、しかし、いつまで待っても好転しそうにもないので、志鶴教官は出発を決心し、午後1時45分、高原の北隅の陣笠山(標高950m)から北方に向かって離陸した。直ちに右旋回し、弱い斜面上昇風を利用しつつ海岸のほうに飛ぶ。約300mの高度を保って亀川町の上空を過ぎ、右折して海岸に沿うて南下、出発より8分34秒で、直線距離で約7km、迂回コースで10.5kmの距離を飛んで、別府市の北郊の海水浴場に到着した。十文字号はスパン12.8m、機長6.7m、翼面積18.2㎡、空重量85kg、乗員70kgとして、全備重量155kg、翼面荷重8.5kg/㎡、最小沈下速度0.8m/秒、最大滑空比16対1、この時の滑空速度12.5m/秒(45km/時)、この十文字号は、これから後にわが国で盛んに使われたセカンダリー機の母型になった機体である。
    



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