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昭和18年(1943)

 (セカンダリーで9時間の滞空記録)

 1月4日、盾津飛行場の二級滑空士、西原雄一氏は前田式205型セカンダリーで生駒山滑空場から午前8時40分ゴム索スタートし、高度1,500乃至1,900mを保って、生駒山―信貴山―飯盛山の間を往復滑翔し、夕暮5時40分着陸し9時間の大記録を作った。これはセカンダリーとしては世界的な記録として注目された。

 

 

 (冬期生駒山滑翔演習会)

 

1月19日から29日まで11日間、大日本飛行協会主催で本会が催され、好成績をあげた。出発回数合計84回、盾津飛行場から生駒山滑空場へのグライダー空輸26回、5時間以上の飛行7回、最高滞空8時間12分30秒、最高上昇(獲得)高度2,180mであった。

1月23日

5時間1分(オリンピア)   飛協訓練本部、加藤信三

6時間6分(巴式は1型)   中央滑訓   朝倉 繁

6時間34分(巻雲2型)    同右     河西大治

7時間2分(光式3.1   同右     小西五男

7時間50分(青航鷹7型)   同右     川島盛夫

1月24

5時間17分(3.1)     飛協京都支部 林 二郎

8時間12分30秒(オリンピア)飛協宮崎支部 佐藤竹雄

1月27、8日は生駒山滑空場で一級滑空士の実地試験が行われ、9名受験した。

1月26日、松本市出身の二級滑空士、松本政氏は前記滑翔演習会で、テルミークを捕えて2時間50分30秒を滑翔したので、後で大日本飛行協会はこれをテルミークによる滞空の新記録として公認した。

 (1月22日、満州で藤原氏11時間59分)

 満州空務協会関東州本部防空部の藤原金太郎一級滑空士は、11時間59分42秒(日本滑空機記録規定によれば12時間としてよい)滞空し満州新記録を作った。

 

 

 (2月11日、航空局、航空試験所の頓所好勝氏は自作のハング・グライダー)で、霧ヶ峯で雪上実験を行い、高度3m、距離30mを飛んだ。この機の要目はスパン9m、長さ3.5m、高さ0.9m、アスペクトレシオ9、自重25kg、乗員55kgとして、全備80kg、翼面積9㎡、翼荷重6kg/㎡、最良滑空比21(この時の速度57km/時、沈下速度0.75m/秒)、最小沈下速度0.63m/秒(この時の速度43km/時、滑空比19)、着陸速度34km/時。(航空朝日、昭和18年1月号に写真と頓所氏の記事あり)

 

 

 

 (2月14日、京都の菊花高女)ではさきに「滑空班」を設け上級生徒に滑空訓練を実施することにしたが、この日京都練兵場で、同校で購入したプライマリー「第1菊花号」の命名始翔式を行った。滑空班の女生徒たちが、制服の上衣にモンペをはき、鉢巻姿でゴム索を引く光景は人々の注目をひいた。

 

 

 

 

 (2月15日から3月1日まで山形県航空青少年隊)では、県下の各都市から2名ずつ計34名の隊員を選出し、新庄町で滑空講習会を開いた。参加者は同町旧城跡内、温故会に合宿し、高女裏手の田圃の積雪上を練習場とし、文部省1型プライマリー2機で本格的な雪上滑空訓練を行い良好な成績を収めた。

 

 (2月15日、日本滑空機工業組合員一躍20社に)

 航空局の指定により下記の11の滑空機製作所が滑空機工業組合に加入することになった。同組合は今まで9社が加入していたが、今般11名の新加入によって、会員は一躍20社に増加した。太平木工KK(富山)、岡市合名kk(和歌山)、香航滑空機研究所(高松)、冨士滑空機KK(名古屋)、阪急航研工業KK(西宮)、第1航空工業KK(大阪)、古荘航空工業KK(熊本)、信州航空工業KK(松本)、大東滑空機KK(藤沢)、横井航空機工業KK(京都)、小島航空工業KK(東京)

 

 

 (4月、大阪市青少年團)では滑空訓練を特に重視し、今までは単位団でグライダーを持っているものが5団にすぎなかったが、4月から各区団でプライマリー1機ずつを備えて、本格的な滑空訓練を始めることになった。大阪市22区にプライマリーを最小限度22機を常備することになった。

 

 

 

 (4月8日、北京居留民団)では一般在留邦人や青少年に滑空訓練をし、航空意識の昂揚を図る目的で「北京日本滑空会」の創立を計画中であったが、準備が成り、この日大詔奉載日を卜し、東単練兵場で、その発会式をあげた。

 

 

 

 

 (4月18日、飛行協会で阪急沿線の西宮に建設した「関西国民航空錬成場」の開場式が行われた。ここには1万2,000坪の滑空訓練場が設けられている。

 



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