明治大正期
昭和元年
昭和2年
昭和3年
昭和4年
昭和5年
昭和6年
昭和7年
昭和8年
昭和9年
昭和10年
昭和11年
昭和12年
昭和13年
昭和14年1月~4月
昭和14年5月~8月
昭和14年9月~12月
昭和15年1月~4月
昭和15年5月~8月
昭和15年9月~12月
昭和16年1月~4月
昭和16年5月~8月
昭和16年9月~12月
昭和17年1月~4月
昭和17年5月~8月
昭和17年9月~12月
昭和18年1月~4月
昭和18年5月~8月
昭和18年9月~12月
昭和19年
昭和20年
昭和16年5月~8月

 5月12日、日本滑空機工業組合では、飛行館で加盟の6社の代表が集まって総会を開いた。最近はグライダー界が盛んになり、6社とも、注文が殺到して現在の生産能力では消化しきれず、生産を増すのに新しい組織が要求されるようになってきた。また新しい適正価額の検討も必要になっている。

 

 

 5月12日、松下弁二氏の文部省体育官任官を祝して、航空時代社の主催で祝賀会が帝国ホテルで開かれた。わが国で最初のグライダー専任の体育官ができた。当日の参列者は、主賓の松下氏、佐田、石原、鈴木、木村秀政、秋田良明、郡捷、生田千年雄、利根川、清水の諸氏、それに主催者側から渡部航時社長。

 

 

 

 5月18日、大日本飛行協会では、大阪生駒山上の滑空場完成を記念して、大毎、朝日協讚のもとに記念滑空訓練大会を催した。当日は大日本飛行協会総裁宮の台臨のもとに、午前10時からグライダーについての説明放送があって、午後0時40分から訓練開始、初、中級機の訓練、ソアラー5機が飛行機曳航で飛来、山上で離脱、2機は山上に着陸、3機は曲技をした後盾津飛行場に帰った。参加団体は大阪府立航空工業、大阪貿易学校他、飛協の清水、利根川、朝日の武久、福田軽飛行機の小田、秋元、東洋金属の大久保、関西飛行訓練所の牧野、藤倉各滑空士が妙技をふるった。生駒山上滑空場の広さは長さ400、幅120m。

 

 6月7日、大日本飛行協会の石岡、中央滑空訓練所の開所式が行われた。仝所は昨昭和15年5月末、伐木、抜根、整地を始め、50万円の巨費をかけ、延べ1万9,800人の汗で広袤30万坪を拓き、東洋一の滑空場を完成した。施設は、東京工大、後藤一夫教授設計の三角屋根の阪谷講堂200坪、本部150坪、宿舎135坪、工場96坪、倉庫96坪、食堂51坪、その他自動車庫、油庫、洗面所等(15棟、1,131坪)である。11時半より阪谷講堂で式が行われ、その後、清水、利根川、沢田、天野諸教官による、曳航飛行や曲技滑空が行われた。

 

 

 6月初め、美津濃グライダー製作所では津野藤吉郎技師設計の水上グライダーが完成し、近く戸田橋(板橋)付近で試飛することになった。同機は翼幅13.30m、全長6.60m、翼面積17㎡、自重145kg、搭載重量65kgで、沈下速度0.9m/秒、滑空比15.1、滑空速度45km/時である。

 

 

 

 (中央滑空訓練所)グライダーはプライマリー9機(文部省型6機、日本式鳩型3機)、セカンダリー8機(伊藤式B2型2機、日本式トビ型2機、光式2.1型4機)、ソアラー7機(オリンピア2機、伊藤式C2型1機、青航式鷹7型2機、日本式鷹型1機、光式6.2型複坐1機)合計24機である。曳航用飛行機は九五式3型陸上練習機4機。

 

 6月16日、タイ国青年にグライダー指導のため新日新聞社の三菱MC20(朝雲)で新野百三郎団長、川崎、長友操縦士、武久滑空士、嶋崎、早川、土屋機関士一行7名が羽田を出発、6月24日のタイ革命記念日に、日本式ハト型プライマリー、同トビ3型セカンダリー、同鳳型ソアラー、合計3機のグライダーとウインチドラム、曳航索などを同国に寄贈、約2周間にわたりグライダー訓練を指導した。

 

 

 大阪の福田軽飛行機ではタイ国に滑空機22機を輸出することになった。その内訳は光式3.1型ソアラー2機、光式2.1型セカンダリー8機、光式1.3プライマリー12機である。

 

 

 

 文部省では、全国中等学校生徒に対する滑空訓練を奨励、指導しているが、学徒の集団道場をかねて、長野県八ヶ岳山麓野辺山高原二ッ山丸山を中心に、予算22万円を投じ、50万坪の大滑空訓練場を建設することに決定し近く着工する。

 

 

 

 

 文部省では去る6月2日、同省内で開催された体育運動主事会議において、各道府県より集まった50名の主事に対して、「滑空訓練は中等学校で大変盛んになってきたが、これは高度国防国家建設のために有益なことであり、文部省では、初級滑空機の型式を制定し、滑空訓練教程草案を作って、滑空指導者の養成にのり出しているので、今後、この一層の普及発達に努めてもらいたいとの指示を行った。

 

 

 文部省の中等学校教員夏期滑空講習会は7月20日から8月30日まで40日間、全国4ヵ所で開催した。(関東地方)、茨城県石岡町中央滑空訓練所、(近畿地方)、滋賀県八日市町、陸軍飛行場、(九州地方)、福岡市外元岡村飛行場、滑空機製作講習会は前年と同様、大阪市立都島工業学校で催した。

 

 

 前田航研工業では、グライダーは戦闘機同様な組立工場のスペースを要し、しかもその値段はプライマリーなど戦闘機の100分の1にも足りない。それゆえ、グライダー工場では敷地、倉敷料その他を戦闘機の100分の1以下に低下させないと滑空機工業は成り立たないとの考えのもとに、小倉市の傷痍軍人職業補導所の120名の所員にグライダーの製作講習を始めたが、続いて家庭工業として成立させるよう計画を立てている。

 

 

 

 (光式2型単座モーター・ソアラー完成)航空局の試作命令で大阪の福田軽飛行機KKが作っていた光式研究機(2型)が完成し近く試飛行を始める。同機はスコット空冷25馬力、スパン13m、全長6.95m、全備300kg、飛行機としての巡航速度75km/時、最大117km/時、航続距離500km、上昇限度3,100m、ソアラーとして沈下速度1m/秒である。

 

 

 

 

 (満州国のグライダー界)満州国では滑空訓練を中等学校生徒に準正課として課することになったので、その元締である交通部航空司でも、草地乗員股長(註-隊長)を中心に、30名の会員がグライダー部を設立した。

 

 

 また満州国大陸科学院でも、滑空部、模型部、航空部を設立した。

 

 

 (航空時代7月号)「前田式竹製折りたたみプライマリーの紹介」「空中列車部隊」藤本有典、去る5月19日、ドイツ空軍の地中海のクレータ島(英ギリシャ軍)をグライダー部隊を利用して奇襲占領した時の情報。

 

 

 

 (高松の滑空大会)大日本飛協香川県支部主催、大毎後援の滑空訓練大会が7月6日午後1時から高松飛行場で開かれ、高松市内の全中等学校生徒、国民学校児童、一般市民が参観し、大毎志鶴滑空士の曲技滑空があり盛会であった。

 

 

 

 

 (東京府下青少年滑航空普及大会)大日飛協東京支部・東京府体育課の主催で7月16、7の両日、府下男子中等学校生徒、国民学校児童、公私立青年学校生徒など、各校代表約1,600名を集め、滑航空普及大会を開催。初日は午前8時から軍人会館で府下国民学校児童を集めて、講演と模型飛行機の見学実習、第2日は所沢飛行部隊で午前9時から中等、青年学校の生徒が陸鷲の猛訓練を見学、石原政雄少佐から飛行機につき、中央気象台の藤原咲平博士から航空気象について講演を聞いた。

 

 

 

 

 (台湾の滑空指導者講習会)台湾グライダークラブは全島の学校教員20名を集め、7月10日から8月25日まで45日にわたり、台北飛行場で、滑空訓練を実施した。使用機はプライマリー10機、セカンダリー4機。

 

 

 なお、6月末に台北州中等学校滑空連盟(台北工業ほか7校参加)ができ、台湾国防義会の武中政治郎一級滑空士を教官に、毎土日曜、台北飛行場で熱心に練習している。

 

 

 (霧ヶ峯の全日本滑空大会)新日新聞社、大日本飛協主催の第4回全日本滑空大会が8月1日から3日間、霧ヶ峯で開かれ、関東、関西、東海から学生150名が参加することになっていたが、時局に鑑みて、この大会は中止になった。

 

 

 

 (産業戦士にグライダー訓練)東京市荒川区の成工社金属品工場、飯塚製作所、関東パイプ製作所などでは、滑空部隊を結成し、日曜日に荒川滑空場で平松一級滑空士指導で訓練を始めている。大日本産業報国会では、このような組織を広く全国100万の産業報国青年隊員に及ぼすべく、8月10日から9月1日まで茨城県東茨城郡鯉淵村の満州鉱工青少年技術生訓練所で開かれる全国産報青年隊中堅1,000名の集団練成会の期間を利用して、滑空訓練や模型飛行機製作などで空の知識を涵養することになった。

 

 

 

 

 (中央滑空訓練所の第1期生巣立つ)大日本飛行協会が大きな抱負をもって茨城県石岡町に設立した中央滑空訓練所の第1期生40名は3ヶ月の講習を終了して7月18日巣立った。同訓練所は8月中、文部省の講習会に使い、9月からは第2期生の訓練を始める。

 

 

 

 

 (とんび会7月例会)は7月19日午後6時から、田村町飛行館食堂で開かれ、松下体育官は文部省の夏期講習会につき、志鶴滑空士から生駒の全日本帆走飛行競技大会につき、清水滑空士から中央滑空訓練所につき、福島滑空士から鹿島の極東帆走合宿訓練につき、読売の矢野滑空士から日本グライダー・クラブの活動、鷲見工学士から無尾翼グライダーについてのそれぞれ有益な話があった。

 

 

 

 

 (文部省学校教員滑空訓練講習会)

 

 

 操縦科はセカンダリー訓練を実施し、概ね二級滑空士の実力を得させ、適任者には高級訓練を実施し、一級滑空士の実力を得させる。製作科はプライマリー機製作の技術を修得させる。操縦科は次の3ヶ所。茨城県石岡町、中央滑空訓練所、7月20日より9月2日まで40日間、参加50名。滋賀県八日市町、陸軍飛行場、参加41名。8月1日より9月9日まで。福岡市外、元岡村、大日本飛協、九州飛行訓練所、8月10日より9月18日まで、参加45名。製作科は、大阪市立都島工業学校、7月20日から8月26日まで40日間、参加72名。

 

 

 (朝鮮咸興滑空訓練場の開設)咸興道では咸興飛行場を滑空訓練場にすることになり整備を進めているが、8月下旬から訓練を始める予定である。

 

 

 

 (オリンピア機の事故続出)オリンピア高性能機は飛行協会がドイツから購入したのをはじめ、我国のグライダー・メーカー、福田、日本小型、アカシヤ、伊藤、美津濃の各社、それに飛行協会の白石襄次氏らにより6機が作られたが、伊藤機がイの一番にスポイラが飛び出した事故で破損したのを手始めに、2番目に日本小型機が、それに続いて福田機が、次々とそれぞれの配属先で壊れ、飛行協会の「虎の子」のドイツ製も曳航中の事故で破損した。しかし幸にして何れも搭乗者は無事だった。このために8月の生駒大会に参加できるオリンピア・マイゼは3機に減ってしまった。

 

 

 

 

 (福田軽飛行機のテスト・パイロット)

 

 

 小田一級滑空士、一等飛行機操縦士は中央気象台入りをし、三保飛行場で気象観測飛行に従事する。

 

 

 (航空時代8月号)ポーランドの滑研のステプニウスキ、「グライダー多機曳航による航空輸送の研究」

 

 アメリカの第4回西部グライダー選手権大会が4月下旬カリフォルニア州のアービンで31名の選手が参加して行われた。参加機は26機、總滑翔距離2,574マイル(4,118km)總飛行時間246時間51分、總飛行回数324回、

 

 

 (全日本帆走飛行大会は中止)大日本飛行協会、大毎東日主催の第5回日本帆走飛行競技大会は8月8日から17日まで10日間、大阪陸軍飛行場と生駒山滑空場で開くことになり参加者は満州国から2名の特別参加を合せて15名、滑空機はオリンピアその他12機で距離、高度の2種目について競技する。まず8日から3日間練習飛行をし、10日に公開飛行、その後競技に移り、大阪陸軍飛行場を中心に6日間にわたって行う即ち仝飛行場から第2飛行場への目的地飛行、阪神防空飛行場までの往復飛行を3日間、それから距離競技を3日間行う予定であったが、本大会も時局に鑑み中止のやむなきに至った。

 

 

 

 (大阪朝日新聞社の滑空機展覧会)6月14日から27日まで、大阪朝日会館でグライダー展を開いた。レオナルド・ダ・ウィンチからの西洋滑空発達史、これにならんで表具師幸吉や二宮忠八氏らの日本滑空史、ソ連、伊、英、米、佛など各国のグライダー界の現勢、グライダーの科学、写真や図板、模型、ジオラマ、実物などを沢山陳列し、素人にもよく判るようによくできていた。

 

 

 

 

 (7月23日、霧ヶ峯グライダー研究会)一級滑空士、田中喜善氏は、この日午後1時26分ゴム索発航し、斜面上昇風に乗って5時間40分ソアリングし、3年前の武久昌次滑空士の2時間40分の霧ヶ峯記録を更新した。

 

 

 

 

 (8月5日、福田軽飛行機の光式研究機2型動力滑空機)は大阪第2飛行場で小田勇滑空士により試飛行した。航空時代9月号、光式研究機2型、動力滑空機完成。」)本機は逆かもめ型低翼、片持単葉機、2本脚、さきに製作された日本式蜂型の中翼、単脚と好対照をみせ、蜂がいかにもソアラーらしいのに引きかえて、これは軽飛行機といってよいほどである。

 

 

 

 

 (東京市航空青少年隊)東京市青少年団では200万人の団員を擁しているが、9月初旬に航空青少年隊を組織することになった。その第一歩として、指導者養成のため、青年学校教員を主として各区から選抜された35名に8月19日から石岡の中央滑空訓練所で10日間訓練する。青年隊は青年学校から30名よりなる班を二つ、20名の分隊一つ、即ち2班1分隊(80名)を各区ごとに編成して滑空訓練を行う。少年隊は1区国民学校3年生以上の児童をもって30名を1班とするもの6班以上を編成し、模型航空機の工作をさせる。

 

 

 

 

 (大阪にも空の青少年隊)大阪青少年団でも、大阪航空青少年隊を組織し、9月に結成式をあげる。市内15区の青年団員中から、500名を選んで4個小隊を編成し、大淀、守口、関西の各滑空場で滑空練習を行う。少年隊は模型飛行機により、青年隊に入隊する基礎教育を施すもので、その隊員は約1,000名の予定である。

 

 

 

 

 (青年学校にグライダー75機を配布)

 

 

 兵庫県青年学校職員滑空訓練講習会では国防協会神戸地方支部、大日本飛行協会県支部の寄付による9万余円で、文部省型プライマリー75機の製作に着手し、神戸市の10機をはじめとして、各都市ごとに1機乃至3機を無償で配布することにした。

 

 

 (北海道、帯広で長期滑空訓練講習会)が8月21日から開かれた。指導者は東武平一級滑空士、栗原、深島二級滑空士、受講者は全道の中等学校教職員30名、仙台より3名。

 

 (滑空機の新公定価額)資材の値上りに伴いグライダーの新値段を検討中であったが、8月22日に関係者が有楽町の工業会館に会合プライマリー800円、セカンダリー1,400円に決定した。30日商工省告示で発表された。

 

 

 (津野式水上グライダーの初飛行)が8月24日、戸田橋滑空場で、製作者津野氏自ら操縦で行われ好成績を収めた。この水上グライダー空研式2600年型、水陸両用グライダーの要目は、全備220kg、翼荷重12.9kg/㎡、最良滑空比17.2、最小沈下速度0.87m/秒、滑空速度50km/時、着水速度43km/時。(ゴム索曳航、10~15m高度、距離300~400米、4回、)

 

 

 

 (中央滑空訓練所の機構改革)8月下旬に次の4科を設け、それぞれ科長を任命した。器材科(白石科長)、教務科(天野科長)、研究科(清水科長)、庶務科(桜井科長)

 

 

 

 

 (厚木中学、渥美武六先生の「初歩滑空訓練教本」が8月末、東京学友社から発行された。)著者は厚木中学の滑空部長で、よき指導者として知られ、文部省の「滑空訓練教程草案」をよく頭に入れて実地訓練によって得た体験を活かしている点が目立っている。巻末に滑空部という章を設けて、学校の滑空部の運営について述べているのは親切な企てである。定価80銭、B6判、113頁。

 

 

 

 

 (中等学校の正課に滑空訓練)文部省では軍事教練の強化に伴い、9月初めに中等学校の第3学年(年間30時間)、4年(同40時間)、5年(30時間)滑空訓練を正課として実施することに決定。

 



ホーム滑空史年表貴重な資料人物探訪滑空機探索(国内編)滑空機探索(海外編)誰も語らない日本記録工作塾図書室リンク気になる1枚の写真砂丘は知っている動画月刊誌航空朝日