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 (5月、文部省野辺山滑空訓練所では、同省主催で、大学高専教員滑空訓練講習会、大阪府中等学校教職員滑空訓練、東京高等体育学校3年生滑空訓練などが行われた。

 

 

 (5月10日から7月10日まで第1回航空青年隊員滑空訓練)を大日本飛行協会主催で、富山飛行場と、鳥取県浜坂の2ヵ所で行う。応募資格は、15歳以上20歳未満の国民学校高等科卒業以上の男子である。4月20日願書締切。

 

 

 

 (滑空機による輸送、九州帝大教授佐藤博)   航空朝日4巻6号より
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 (航空朝日、昭和18年、6月号、「大東亜の航空交通、特輯」)輸送用大型滑空機の出現、滑空機による輸送の利点、曳航の状態、曳航する時の航続力、滑空機曳航と飛行機を大型にするのとの比較、以上の各項につき、なるべく平易、簡明に理論的に解説を試みたもの。

(航空朝日、昭和19年1月号、グラビア写真)

 

 

 (6月半ば九大の九帝11型ソアラー完成)

 

 これは佐藤博教授の設計で、九帝七型より開発した練習用ソアラーで左の要目のものである。スパン13.4m、機長6.21m、アスペクトレシオ12.8、翼断面ゲッチンゲン535、主翼面積14㎡、自重137kg、搭載量80kg、全備217kg、翼面荷重15.5kg/㎡、沈下速度0.81m/秒、滑空比19.5、この時の速度61km/時、着陸速度46km/時

 

 

 (7月6日、津田沼で実験用滑空機D-1テスト)

 

 新鋭双発高等練習機をそのままの大きさのグライダーにした実験用の滑空機「D-1型」が、梅雨上りのこの日、津田沼飛行場で、関係者立会のもとに、航空局、楢林滑空士の操縦で試飛行をした。

 今まで飛行機の空力特性を調べるには、実物の何十分の一の模型を風洞に入れて測定するより外は方法がなかったが、本機は実物大の滑空機に人が乗り操縦性、安定性を試験しようとするもの。この種の試みは、1昨年大阪で、福田軽飛行機の光式研1型グライダーで行われたが、前のは縮尺模型だったのに対し今回のは実大模型である点で、世界でも珍しいテストである。

 本機は航空局、航空試験所の川崎、村上航空官、岩本検査官らの担当のもとに2ヵ年半の年月をかけて、日本航空機工業KKが製作に当たり、去5月18日に完成した。また本機の10分の7の縮尺の単座グライダーも近くでき上がって、これと比較試験をする予定。

 試験飛行は蘆原一等操縦士搭乗の480馬力機上作業練習機で、120m、径8mmの鋼索をもって曳航、高度約5mで離脱した。風洞試験結果から計算すると、90km/時の速度で720m滑空することになるが、この飛行テストでは80km/時の速度で500m滑空した。風洞試験と実大模型試験との間の差異を検討中である。

 今後逐次行われる試験は、縦安定、横安定、失速、また本機の翼面荷重を5パーセント変更して、縦揺れ、横揺れ安定の測定などを行う。本機の要目は、スパン17.9m、全長11.9m、高さ2.32m、乗員4名、自重1.5トン、正規全備1.7トン、最良滑空比の時の速度111km/時、沈下速度2.25m/秒、着陸速度75km/時。

(写真、航空朝日、昭和18年8月号)


(滑空機の諸問題、九州帝大教授佐藤博)

 

 大日本飛協発行「飛行日本」8月号

       1、直線滑空(滑空速度、沈下速度、滑空比、高度による速度の変化、追い風、向い風での滑空)

2、斜面上昇風滑空(ソアリングに必要な風の強さ、斜面滑空の要領)

3、離着陸(斜面からの離陸、着陸滑走)

4、旋回滑空(旋回中の滑空速度、バンク角、沈下速度、旋回半径--)

右のような滑空原理を、なるべく平易に解説したもの。

 

 

(また同誌には独、英、米の最新軍用滑空機)として、写真で左の各機を紹介している

(ドイツのDFS230型)ヤコブスの設計らしく、スパンは20mほど、少なくとも12人は乗れるようだ。翼は普通のソアラーと同様、単桁式で全面ベニア張りらしい。胴体は鋼管溶接、羽布張りである。(スパン21.8m、全長11.27m)

(ゴータ242型)双胴、双尾翼、4角断面の大きなキャビンは、重量物運搬のためだろう。搭載量2.3トン、乗員2名、兵士21名を乗せる。スパン24m、全長16m。

 その他英のホットスパー、米のワコーCG4A、TG1、2、6など。

(「滑空機」航空局乗員課長、陸軍中佐佐田侃三著)
 

 本書は斯界の権威、佐田中佐が航空の基礎になる滑空機の訓練方法を、誰にもわかるよう詳しく説いたもの、決戦場に行く青少年のために書かれたものである。目黒書店発行、定価80銭。

(各国の軍用グライダー、航空朝日、10月号) 

 

 独DFS230型、米CG-4A型、英ホットスパー、ホルサ、独が北亜戦線に使ったというゴータ242型などのグラビア写真。

(大日本飛行協会附属、霧ヶ峯滑空科学研究班)
 

 昭和8年の初め現中央気象台長、藤原咲平博士(当時は予報課長)によって創立された霧ヶ峯グライダー研究会は、最近では、前記のように改称し、現在總員500余名を擁し、航空決戦につながる明日の滑空日本建設に邁進している。

 この夏、霧ヶ峯に立籠った班員は、前期後期を通じて約100名、学校別にすると東大、法政、一高、浦和、山口、新潟の各高校、東京、明治両薬専等であるが、これらの学生が気象、滑空、機体、整備、衛生、庶務、生活の7班に分かれ、これを数名の幹事が統率して自治制を敷いている。

 (進む滑空機の利用、航空朝日、10月号) 

 イギリス陸軍の滑空訓練、アメリカのグライダーの釣り上げ式離陸、をフライト誌1942-1943年3月号より訳出したもの。


 

 (海外ニュース)

 

 

 

 (米軍の輸送用グライダー、大西洋曳航横断)

 6月末、米陸空軍のダグラスDC3型で標準型輸送用グライダー、ウェコーCG-4型を曳航して北大西洋を横断しイギリスに到着した。このグライダーは、多くの木材会社で作られており、人員なら15名、貨物なら1.5トン積める。全コース4,480キロを28時間で飛んだと発表しているから、平均速度は160km/時になる。

 この横断飛行の準備や実施は英空軍の輸送部隊によってなされ、乗員は全部イギリス人かまたはカナダ人だった。曳航索は太さ5分の4インチ(約20ミリ)、長さ340フィート(約100m)のナイロン索。索取付金具は9トンの張力に耐えるように設計し、使用ナイロン索は実験では5,850kgの張力を示す。大西洋横断中に曳航索のうけた最大張力は900kgだったと発表された。

(8月初旬、ウェコーCG4Aグライダーの事故) 

 軍隊輸送用グライダーの公開飛行がセントルイスで行われた時、CG4型1機が3,000mの上空で曳航機から離脱した瞬間、片翼が折れて墜落、10名の搭乗者は皆死んだ。この中にはセントルイス市長、航空関係の官吏、将校など著名の士が多かった。原因は支柱が破損したためと陸軍省は発表し、この支柱の製造会社の部品を使っているグライダー約100機は解体された。

(メッサーシュミットMe323型6発輸送機) 

 これはMe321軍隊輸送用大型グライダーに佛のノーム・ローン(高度3,960mで965馬力)を6基装備したもの。翼幅55m、全長28.4m、最大速度272km/時。搭載量は3トン貨物自動車か戦車なら1台、兵士なら100名は収容できる。防禦は操縦席は防弾装置があり、7.9mm機銃18挺をもつ。張力8トンに耐えうる曳航索レリーズ金具を備えているものもある。

 

 

 

  

 



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